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京都地方裁判所 昭和29年(行)14号 判決 1960年3月25日

原告 山田幸次 外一五名

被告 京都市長・京都市人事委員会

主文

原告山田幸次、同小畠直光の本件訴をいずれも却下する。

その余の原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告人事委員会が原告等に対し昭和二九年五月八日付で行つた判定処分はこれを取消す、被告市長が原告大島鶴松に対しては昭和二七年七月二五日付、その他の原告等に対しては同年同月一三日付で行つた懲戒免職処分はいずれもこれを取消す、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求めその請求の原因として、

一、原告等はいずれも京都市の職員として原告山田幸次は同市民生局に、原告野田道法は右京区役所公聴室に、原告山内幸一は東山区役所主税課に、原告矢田碩は同区役所総務課に、原告池田妙子、同関知彦は上京区役所戸籍課に、原告藤村恒雄、同永田宗一は同区役所主税課に、原告浦本信子は同区役所公聴室に、原告大島鶴松、同小畠直光、同坂井泰男は同区役所経済課に、原告中西理一郎は同区役所管理課に、原告広岡保、同森田昭は同区役所総務課に、原告坪田潤平は同区役所徴収課にそれぞれ勤務し地方公務員の身分を有していたものであるところ、被告市長は原告山田、野田、山内、矢田に対しては地方公務員法(以下地公法と略称)三七条一項後段に該当の行為があつたとの理由で昭和二七年七月一三日付をもつて、その他の原告等に対してはいずれも同条一項前段に該当の行為があつたとの理由で、原告大島以外の者に対しては同年同月同日付をもつて、原告大島に対しては同年同月二五日付をもつてそれぞれ地公法二九条一項一号の規定に基き懲戒免職処分を行つた。

しかして原告等は右処分を不服として原告山田は同年八月二日、原告坂井を除くその他の原告等は同年同月一六日、原告坂井は同年同月二四日それぞれ被告人事委員会に対して右懲戒免職処分取消の審査請求をしたが、同人事委員会は昭和二九年五月八日原告等の右請求をいずれも棄却する旨の判定をなし、該判定書は同日原告等に送達せられた。

二、右懲戒免職処分は昭和二七年七月一一日より同月一四日まで京都区役所職員組合(以下区職と略称)上京支部組合員三百数十名が一斉賜暇斗争を実施したことに関し、原告山田、野田、山内、矢田は争議行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし若しくはあおつたとの理由で、その余の原告等は争議行為に参加したとの理由でなされたものであるが、右被告市長のなした処分は左記理由によつて違法無効であり、被告人事委員会の判定も何等客観的証拠に基かないで被告市長の主張をそのまゝ認めたもので事実誤認と法令の適用を誤つた違法がある。即ち

(一)  被告市長が右処分の根拠とする地公法三七条一項の規定は憲法二八条及び二一条に違反し無効であるからかゝる無効の規定に基いてなされた処分は無効である。

(イ)  憲法二八条が保障する団結権、団体交渉権及び争議権はいずれも労働者の生存確保のための手段として認められた基本的人権であつて法律をもつてするもこれを制限しえないものである。或は公共の福祉を理由とし、或は公務員が憲法二八条にいわゆる勤労者に含まれないことを理由とし或は公務員が全体の奉仕者であることを理由として公務員の争議権に対する制限を正当化せんとする説があるがいずれも誤りである。

それ故地方公務員から争議権を奪つた地公法三七条一項の規定は違憲である。(詳細は原告準備書面記録八〇八丁裏乃至八一一丁及び八二四丁乃至八二九丁)

(ロ)  地公法三七条一項前段の行為を行つた者は処罰されない。しかるにこの処罰されない行為の遂行を言論などの表現手段によつて他人に対して主張すると同法六一条四号にいわゆる「あおつた」者として処罰されることになつている。してみれば地公法三七条一項後段の規定は結局文書、図面、言論などによる表現活動自体を禁ずることになり言論など表現の自由を認めた憲法二一条に違反するものである。

(二)  地公法三七条一項後段にいわゆる「何人も」の中には地方公務員は含まれないから地方公務員である原告山田、野田、山内、矢田に対し同法条を適用してなされた懲戒処分は違法無効である。地公法三七条一項前段は「職員は・・・・・争議行為をし・・・てはならない」と規定し、後段は「又何人もこのような違法行為を・・・あおつてはならない」とする。そして同条二項は「職員で前項の規定に違反する行為をしたものは・・・任命上又は雇用上の権利をもつて対抗することができない」とする。しかし刑事罰を定める同法六一条四号は「何人たるを問わず第三七条第一項前段に規定する行為の遂行を・・・あおり・・・企てた者」と規定しておる。この二つの条文の各条項をよく対照すると三七条一項後段、六一条四号にいわゆる「何人」のなかに職員が含まれないものであることが明かである。即ち

(イ)  地公法三七条一項前段及び二項は(その他の規定とも同様)行為の主体が地方公務員であることを必要とする場合は常に「職員は」と規定し、その他が主体たる場合と区別している。

(ロ)  これを沿革的に見ても、昭和二三年七月二二日のマ元帥書簡には「雇用若しくは任命により日本の政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を阻害する遅延戦術その他の紛争戦術に訴えてはならない、何人といえどもかゝる地位を有しながら日本の公衆に対しかゝる行動に訴えて公共の信託を裏切る者は雇用せられているがために有するすべての権利と特権を喪失するものである」とあり右書簡に基く昭和二三年七月三一日公布政令第二〇一号二条一項はこれを受けて「公務員は何人といえども同盟の罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならない」と規定し、「何人」が公務員である場合は「公務員」という言葉を附加して表現している。それらの沿革を受けた地公法の前掲条文が単に「何人も」、「何人」たるとを問わず」と規定しているのは公務員を含まぬ趣旨であることが明かであろう。

(ハ)  又立法の経過からすると「この規定を設けた当時、特に特定政党の側からこの種の行為が行われたという事情があつた」とされ(吾妻光俊教授続労働法二〇一頁)、「実際上外部からこれをそそのかし、あおつた場合などに問題となる場合が多いであろう」(同上二〇〇頁)とされている。このことから見ても「何人」は外部の第三者を指すものであると考えるのが合理的である。

(ニ)  更に憲法との関係から見ても争議行為に関して刑罰をもつて臨むことは憲法一八条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)、労働基準法五条(強制労働の禁止)に違反する疑が甚だ濃厚である。同時に労働者の生存確保のための憲法で保障されている労働基本権による行動を違法視するものとして憲法違反の疑も大きいのである。

この点につき吾妻教授は「後者(計画、共謀、その他そそのかし、あおることに対して体刑を含む罰則をもつて対処すること)についてもその対策を自らの労働条件に利害関係を有せぬ外部者の行為に限定するならばこれまた違憲をもつて論ずるに当らないと考えられる」と、される。(続労働法二二一頁二〇九頁以下)これらの点から見ても「何人」の中には地方公務員は含まるべきでないことが理の当然であると信ずる。

(ホ)  次に論理的に考えて見ても地公法三七条一項前段の行為即ち職員の争議行為については刑罰がないのに(つまり刑法上の違法性がないのに)このような行為の遂行を共謀したり、あおつたりすれば刑罰に処せられるということは甚だ不合理である、本来違法でないものを煽動しても違法となる道理がないからである。この点から考えても「何人」の中に少くとも職員が含まれないことは益々明かである。

(ヘ)  なお、地公法六一条四号の「又はこれらの行為を企てた者」というのは共謀、そそのかし、あおりを受けているという解釈であるが(佐藤功外二名「公務員法」四八三頁、神山欣治「労働刑法提要」三二一頁)そうすると三七条一項後段の「又何人もこのような違法な行為を企て」の場合の「企て」については同条二項により職員については懲戒罰があるのに、第三者については何らの制裁がないことになるので矛盾であるからこの点からいつても三七条、六一条にいう「何人」の中には職員は含まれぬと解すべきことになろう。

よつて原告山田、野田、山内、矢田については地公法三七条一項後段の「企て、共謀し、そそのかし、あおる」という概念をそもそも適用する余地がないので同法二九条一項一号の「この法律に違反する場合」はあり得ないことになるのである。

(三)  原告山田、野田、山内、矢田等はいずれも何等争議行為を企て、その遂行を共謀しそそのかし若しくはあおつた覚えがない。事実無根の理由をデツチ上げて同原告等を処分した被告市長の意図するところは市職、区職等の組合を切崩し、不当首切り反対斗争を弾圧せんとするものである、かゝる正当理由なき処分の違法なることは多言を要しない。

(四)  その余の原告等(但し原告中西を除く)の参加した前示一斉賜暇斗争は適法に年次有給休暇をとつてなされたもので労働基準法三九条によつて与えられた労働者の権利を行使したものに過ぎないから地公法三七条一項前段の争議行為に該当しない。従つてこれに該当するとしてなされた被告市長の処分は無効である。

そもそも年次有給休暇は被使用者が使用者との関係においてその拘束関係を一時離脱することにより労働力の維持培養をはかるために被使用者の権利として認められたものであるから休暇請求の動機目的は少しも問題とならず例へば組合の指示によつて全組合員が一斉に休暇を請求したとしても何等違法ではなく又右休暇の請求には使用者の承認を必要とせず被使用者の請求のみで直ちに休暇の効力を生ずるものである。(従つて休暇請求権は形成権である)、唯使用者は請求された時季に休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においてのみ右時季を変更する権利を有するに過ぎないものである。

(昭和三三年四月一〇日大阪地裁判決参照)従つて如何なる動機目的をもつてするものであるを問わず被使用者が労働基準法所定の年次有給休暇を請求した場合使用者においてその効力の発生を阻止せんとすれば請求された時季に休暇を与えることにより事業の正常な運営を妨げられる客観的状況にあることゝ代替休暇を指定することが必要であつて右二つの要件を欠く場合にはたとえ使用者において休暇を拒否しても休暇請求の効力の発生を妨ぐるに由なきものといわなければならない。しかるに本件の場合原告池田等上京区役所職員は昭和二七年七月一〇日夜一斉に上京区長に対し休暇届を提出したところ同区長はこれを受理せず翌一一日午前二時「休暇は認めぬ」旨の電報による業務命令を提出者全員に発したが該業務命令は前示休暇変更権成立の要件を満さずしてなされたものであるからその効力がない。

即ち

(イ)  七月一一日と一二日にわたつて上京区役所の管理課職員の大部分を除くその余の同区役所の職員の大部分、九割以上が一斉に休暇をとつたこと、そのため部課によつては部課長クラス自ら窓口に出て仕事に従事したことは認められるけれども一般市民が右休暇によつて何程の迷惑と、被害を蒙り、客観的に見て業務の運営に何程の支障があつたかは何等証拠がない。

されば被告側においてその点の立証をしない限り業務の正常な運営が妨げられたとなすことはできない。

なお仮に大多数の職員が一斉に休むことによつて業務の正常な運営に支障を来たすとしても年次有給休暇制度は個別的労働関係を対象とするものであるから各職員毎に個別的に、その者が休むことによつてその者所属の部課の仕事にどれだけ支障を来たすかを判断して決すべきものであるに拘らず本件においては一斉休暇の請求を頭から違法視し、個々の職員につきその所属部課の仕事に支障を生ずるか否かを十分検討することなく、休暇届提出者全員に対し漫然一律に業務命令を出したものであるから使用者に認められた休暇変更権を乱用したものといわなければならない。

況んや上京区長が一斉休暇を認めず業務命令を発した理由は業務の正常な運営を妨げることに対する考慮よりも寧ろ原告等が被告市長に対する人員整理反対等の要求を貫徹するためとつた一斉休暇斗争を粉砕し、原告等の要求を押しつぶして整理を強行しようとする被告市長の意図を体してなされたものであることが看取されるにおいて、変更権の本来の目的から全く離れた目的による変更権の行使であるといわざるをえない。

さればかゝる変更権の行使は無効でその反面において原告等休暇請求者全員の休暇を有効にするものといわなければならない。(宮島尚史季刊労働法二九号三二頁以下、藤本正「一斉休暇を理由とする懲戒解雇の効力」労働法律旬報三五六号参照)

(ロ)  仮に右主張が認められないとしても上京区長は代替休暇を指定せずして業務命令を発したものであるから原告等請求の休暇を変更する効力を生ずるに由がない。

それ故本件一斉賜暇斗争は適法な年次有給休暇をとることによつてなされたものであるから社会的事実としては争議行為と評価される側面をもつていても地公法三七条一項前段において禁止せられている争議行為ということはできない。

(五)  原告中西は区職中央委員会の一斉賜暇斗争の決議に服し、七月一〇日夜他の職員に依頼して休暇届を提出したが当時歯槽膿漏にかゝり相当顔が腫れ、激しく発熱し、頭が痛んだので七月九日医師富田雄山に歯の神経を摘除して貰つたが却つて経過が悪るくなつたので翌一〇日と一三日富田病院え午前九時頃通院したのみであとは家に引籠つて寝ていた、従つて現実には斗争に参加していないから同原告には地公法三七条一項前段の該当の行為は存在しない。

(六)  本件賜暇斗争は社会的相当行為として違法性を阻却される、その理由を説明するためには先づ右斗争の原因経過を叙述する必要がある。

(イ)  昭和二七年二月頃より京都市庁内に、近く事務刷新のため、従業員の一割位の人員整理をする旨の市側の意向が洩れ、市各局毎に上から成績の悪い者順に従業員の一割位の名簿を作成して人事当局に提出するよう指令が出ていることが判明したため京都市職員労働組合連合会(以下市労連と略称)傘下の各組合員間には馘首の不安がただよい、組合は次のような数々の未解決問題をかゝえて又新たに市側から押付けられた無理と対決せねばならないことになつた。当時市労連は職員の生活に直結する一号俸復元の問題、定期昇給の問題で市側と交渉中であつたが何等解決を与えられないまゝ被告市長は昭和二七年一月以来不法にも団体交渉を拒否し、市労連は全くつんぼさじきにおかれることゝなつて職員の切実な右問題の解決策をめぐつて腐心の最中であつた、一号俸復元の問題とは昭和二六年の越年斗争に起因する右斗争は市労連が給与ベース引上げ、年末手当の確保を要求し被告市長がこれを肯んじなかつたゝめ、紛糾を続けたが、当時市会の斡旋によつてベースアツプの問題については基本給を一号俸引下げた上ベースアツプする、右引下げは市財政の窮迫が緩和次第復元するということで妥結し、その時期については昭和二七年四月頃とすることに了解が成立していた、しかるに被告市長はその後右市会の斡旋を全く無視して昭和二七年一月以降全く団体交渉を拒否して復元の約束を破り五大都市中京都市のみという異例の一号俸引下げを受けた職員の生活を益々困窮せしめて顧みなかつた、その他昭和二七年の夏期一時金の支給問題についても、組合無視の市長の態度によつて何等の解決を見ず被告市長に対する不信感は各職員の共通感興を呼んだ、かような状勢下、当時各区役所は人員と事務の増加で職員の仕事負担量は増加されていたがその上住民登録法の施行に伴つて登録事務が加つたゝめ戸籍事務は輻輳を極め区職員の不満はつのるばかりであつた、中でも京都市上京区役所は人口二七万という長崎市の人口と匹敵する大区である上に、西陣機業地帯をかゝえて、その不況も手伝い、徴税課、戸籍課等を中心に事務が殺到し、人員不足のため極度の労働強化が強いられ、衛生厚生施設の不備も伴つて病人が出る始末であつたその中で前記一割人員整理の意向が市側から打出され、加えて区民に最も身近かに利用されていた市内八十数ケ所の豆区役所の廃止の意向が市側より出されたゝめ市側の不誠意極まる態度と相俟つておのずから職員間には職員の生活と職場の実情を無視した不当首切り、豆区役所廃止反対の気風があふれ始め、それが一つの大きな流れとなつて組合意思を結成せしめ今次の賜暇斗争え一団となつて突入する原因となつたのである。かくて昭和二七年七月二日被告市長は友田公室長を通じて京都市役所職員組合(以下市職と略称する)及び区職員に関する整理要綱を示し本要綱は市の方針として決定したものであり、その実施については組合側と団体交渉を持つ意思はないと一方的に通告してきた、これに対し組合側としては現在の社会状勢より首切りというが如き職員の自殺にも等しい行為をとらず他に適切な方法があることを申入れて、一方的な人員整理に反対の態度を表明した、ところが被告市長は不当にも組合側との団体交渉を拒否し、組可否認の態度をとつたゝめ事態は悪化し、組合側は憲法で保障された団結権及び団体行動権に基き労働者の権利を守るために止むなく実力斗争に入つたが現実には昭和二七年七月五日の区職中央委員会で一斉賜暇斗争を決議しこの決議に基いて区職上京支部が一斉賜暇斗争を実施したのである。

(ロ)  ところで公務員の争議行為は地公法三七条によつて禁止されてはいるがその違法性の判断は公務員の労働関係の実態を検討して慎重に判断することを要する、とりわけ昭和二三年七月三一日の政令二〇一号以前においては公務員の労働関係には私的企業における労働関係と同様に労働三法の適用があつた、それだけに労働三法の適用を見ない今日においてもなお組合活動の範囲についての社会的相当性を持つ場合が少なくない、従つて公務員の争議行為が形式的には地公法三七条の法定構成要件に該当するからといつて、直ちにその行為が違法であるということはできない。蓋しヴエルツエルの指摘したように「共同生活の歴史的に生成した社会倫理的秩序の枠内で行われたものは違法でなく適法である」からである。換言すれば社会的相当性がある場合にはその行為が構成要件に該当するものであつてもそれが社会的に正常なものであり、社会的な適合性がある限りその行為について違法性は生じないわけである(峯村光郎「団結と協約の法理」二三九頁以下参照)

しかして本件斗争は前述の如くその原因動機から見るときまことに「共同体生活の歴史的に生成した社会倫理秩序の枠内で行われたもの」ということができ、地公法三七条一項前段及び後段の争議行為等に形式的に該当しても社会的相当行為として違法性を阻却されるものといわねばならない。従つて同法条に違反するものとしてなされた原告等に対する懲戒処分は無効である。

(七)  仮に叙上の主張がすべて認められないとしても本件懲戒処分は裁量権限を逸脱した違法な処分として無効である。

原告池田等上京区役所関係一二名に対する処分理由は只単に争議行為に参加したという事実のみであつて他の三百余名の組合員との区別が明かにされていないが何故同原告等のみが懲戒処分を受けなければならないのか理解に苦しむものである、特に本件斗争の最高責任者である内藤胖区職執行委員長(上京区役所勤務)や志牟田幸夫区職上京支部長が懲戒免職処分を免れているにも拘らず最下部の組合役員や何等の役職のない平組合員たる原告等が特別の理由も示されず最も重い懲戒処分を受けたことは何としても納得の行かない不明朗極まる処分であり処分の公正を疑わしめるに十分である。

(原告中西は区職の決議には服したものゝ現実には一斉賜暇斗争には参加していない、原告小畠は一組合員として組合の決定に服していたが何等の組合の役職についておらず積極的な斗争に参加していない又原告森田は上京支部職場委員、原告関は上京支部青年部員として組合の決定に服して行動したに過ぎず他の一般組合員に比し特に積極的な行動はしていない、その余の原告等についても内藤委員長や志牟田支部長より特に責任が重いと見らるべき理由は毛頭ない)

結局本件懲戒処分は共産党員若しくはその同調者と考えらるゝ者を本件一斉賜暇斗争を機縁として馘首すると共に組合弾圧の政治的意図をもつてなされたものと解するより外に途がないから右処分は憲法一四条、地公法一三条、二七条一項、五六条に違反し裁量権限を逸脱した懲戒権の濫用として無効であるといわなければならない。

よつて被告市長のなした原告等に対する懲戒免職処分並びに右処分に対する審査請求を棄却した被告人事委員会の判定の各取消を求める旨陳述し、

被告等の答弁に対し

(一) 原告山田、同小畠の本訴は却下せらるべきものであるとの被告市長の主張は失当である。

原告小畠が被告主張の日時に死亡したこと、原告山田が被告主張の各選挙に立候補の届出をなし昭和三四年四月の京都市会議員選挙には当選して同市会議員となつたことは認める。しかして公務員たる身分が一身専属権であつて、本人の死亡により右身分が相続人に承継されないことも被告のいうとおりである。

しかしながら懲戒免職処分が取消されて本人の公務員たる身分が回復すれば免職処分時より死亡時までの賃金請求権が相続人に相続される、従つてかゝる場合被告も認める如く相続人が京都市を相手取つて右の賃金支払等の請求訴訟をすることができるのである、ところで相続人のかような訴訟が認容されるためには当然原告亡小畠直光に対する本件懲戒免職処分が取消されなければならない。何となれば行政処分は権限ある行政官庁又は裁判所の判決によつて取消されない以上一応有効な行政処分としての効力を有するから相続人が如何に右賃金請求の訴訟中で行政処分(懲戒免職処分)の違法なることを訴え又右訴訟の裁判所が取消原因の存することを認めても行政処分取消の効力は発生するものでないから裁判所は賃金の支払等を命ずることができないからである。即ち当事者において行政処分の違法性を主張して賃金支払等の請求訴訟を起すためにはその訴における先決問題として行政処分の違法なることを確定し得ないから先ず当該行政処分そのものゝ取消判決を得る必要があるのである。(中務俊昌、民商法雑誌三五巻四号一一九頁、法律実務講座民事訴訟編第二巻五〇頁註(八)参照)

従つて原告小畠の相続人は当該行政処分を受けたものではないけれども右行政処分の効力につき直接の法律的利害関係を有するので本件訴訟の原告適格を有するものといわなければならない。

原告山田も同様の理由により本訴につき原告適格を有する。尚被告市長は公職選挙法九〇条を根拠に原告山田が昭和三〇年四月三日付で京都市会議員選挙に立候補届出をなした日から公務員たる身分を失うと主張するけれども同条は現に公務員として在職中の者に適用さるべき規定であつて原告山田の如く懲戒免職処分によつて公務員たる身分を剥奪されていた者については適用はない。

(因に最高裁昭和三一年一〇月二三日判決、最高裁判例集一〇巻一〇号一、三一二頁、東京地裁同年一二月一五日判決、行政事件判例集七巻一二号三、一三六頁はいずれも無効確認訴訟に関する場合であり、本件の如く取消訴訟と同一に論ずることはできない。昭和三一年度行政事件訴訟年鑑二三頁参照)

(二) 被告市長主張の原告山田、野田、山内、矢田等の行為について。

(1)  (原告山田関係)

(イ) 同原告は七月一一日朝、上京の賜暇斗争突入をまつて市職中央斗争委員会を開き区職の斗争を支援するため、各中斗委員が市職各支部職場を廻り市職の方針どおり早急区職斗争の支援内容につき討議して欲しい旨報告して廻つたに過ぎず被告主張のようなアジ演説をしたことはない。右報告は市職の執行機関の一員として同原告等のなすべき当然の義務であり、およそあおりそそのかすという概念の入り込む余地のないものであると共にそれぞれ各部屋責任者の了解を得て行つたものである。

又当日市役所本庁舎内にビラを貼つたのは同原告とは関係なく外部から侵入して来た市労連の友誼団体の臨時職員労組の組合員の一団であつて原告山田は自ら糊やハケを所持してビラを貼つたこともなければ右の一団に貼つて廻るように指示を与えたこともない。しかのみならずビラの内容が被告主張の如きものであつたことを明確に認むべき証拠もない。(乙第一号証の一乃至四はその作成名義が明かでないから書証としての形式的証拠能力を有しない)。

(ロ) 七月一一日桜谷文庫で上京支部員に激励演説をした覚えはない。

(2)  (原告野田関係)

(イ) 被告は同原告が七月五日の第四二回区職中央委員会において一斉職場放棄斗争に入ることを採決する決議に参加したとし、決議に参加すること自体を地公法三七条一項後段の「共謀」又は「企て」としてとらえているものゝようであるが右は最も露骨に組合の団結自体を犯罪視する不当の解釈である。地方公務員は団結権があり従つて当然その作用として議決機関が存在する。そして右の議決機関が仮に違法行為を決議したとしても、労働者の意識においてその正当性が疑いないものである場合(政令二〇一号発布以前においては公務員の争議権はあつたのである)は社会的に相当な行為として決議自体は問題にされないのが通常であるのみならず「共謀」、「企て」という概念は執行機関についていわれたことで決議参加自体を共謀としてとらえた解釈は類例のないものである。蓋しある一つの決議を対象とする限り決議参加者全員を共謀者とせざるを得ずその範囲の拡大は止まるところを知らないからである。又被告は原告野田が区職中斗委員長として各支斗長に中斗指令第一号を発したことをもつて違法としている。しかしかような指令を流すことは組合執行機関としての当然の義務であるからこれを違法視することは組合組織を否定することになり不当である。しかのみならず右中斗指令は組合の下部機関支斗に対し発せられたもので一般組合員に対し発せられたものではないから一般組合員をあおつたことにはならない。

(ロ) 原告野田が七月七日午後四時頃左京区役所を訪ねたのは区職左京支部長が当時辞意を表明していたゝめ区職本部との連絡が稍々不十分だつたので区職としては本部役員が直接左京支部組合員に対し今迄の斗争の経過を報告し課長等に対し交流陳情をなす必要があつたので内藤委員長及び区職中斗委員と共に行つたもので目的はあくまで斗争経過の報告であつてアジ演説に行つたものではない。

しかして原告野田は徴収課に入つて同課員に対し「考課表が提出された以上首切りがあるから一斉ストに入つて闘おう」という趣旨の話をしたのであつて決して被告の主張する如く判つきり「一斉ストに入つて闘え」とアジ演説をしたのではない。しかして右程度の話をすることは具体的に争議行為を実行させる刺戟のあるものではないから争議行為をあおりそそのかしたということにはならない。殊に公務員の争議権は過去に存在したものであるし、現在においても遵法斗争の形態で確保されており、労働者の意識においては争議は悪ではないからストライキという言葉を口にしてさえいけないということは言論の自由の全き否定である。

尚被告は原告野田が吉田経済課長をつるし上げ、課員をして斗争へ奪起させるべく組合の実力を示威したと主張するも同原告の同課長に対する発言は音声も粗悪でなく決してつるし上げというようなものではなかつた。しかのみならずつるし上げによる実力の示威が如何なる意味で地公法三七条一項後段の行為に該当するのか全く不明である。

(ハ) 原告野田は七月一一日の朝下京区役所において松本宿直員から正面玄関の鍵を取上げて開扉を不可能にしたようなことも、同区役所職員に対し「ストに立ち上られたい」旨発言したこともないが仮にあつたとしても松本証人の証言によると正規の時間より僅か七分開扉が遅れたというに止まるから殆んど問題にする程のことではなく又職員が登庁につき迷惑を蒙つたと認められるような事実は何もない従つてかゝる行為が如何なる意味で争議行為をあおりそそのかしたことになるのか理解し得えない。又右発言もその程度のことでは「あおつた」ことにならないこと前同様である。

(3)  (原告山内関係)

(イ) 区職中央委員会における採決参加行為が地公法三七条一項後段の違反とならないことは原告野田について述べたところと同様である。

(ロ) 七月七日左京区役所徴収課で課員を激励したことはない。しかのみならずどのような内容のことをどの程度の言葉使いで激励したのか明確でないから争議行為をあおつたものと解するのは不当である。

(ハ) 被告は原告山内が七月八日午後三、四時頃中京区役所において区長から退去せよと命ぜられながら応じなかつたと主張するが仮にこのような事実があつたとしても地公法三七条一項後段の何に該るというのであろうか、結局意味のない主張といわざるを得ない。

又被告は同原告が同日同区役所主税課において課員に向い「上京は一斉ストを決議したからわしのいうことを聞け」とアジつたと主張するも上京支部が一斉賜暇突入を決定したのは七月一〇日頃であるから七月八日に「上京がやつたからやれ」という筈はない。

戸籍課の職員に対し「上京、下京も職場放棄を決定しているから中京もやれ」と煽動したという主張も同様である

(ニ) 七月一一日の朝の下京区役所における行為については原告野田について述べたところと同様である。

(4)  (原告矢田関係)

(イ) 同原告が七月七日午後三時頃伏見区役所を訪ねたのは区職東山支部が一斉賜暇斗争に入るか否かにつき他支部の情勢をよく調査検討して決定する旨決議していることに基き他支部との情報意見の交換を求める目的のためであつた。伏見区役所においては先ず木村総務課長に対し職員に挨拶させて呉れと申出でたら拒否された。しかし支部交流の場合に執務時間中と雖も情勢を交換することは慣例となつているので二ケ所で区職中央委員会や東山支部の情勢を報告し団結して闘おうと話合つた。木村課長に対し「実力でやらう」という趣旨の言葉は使つたがそれは情勢報告を課長の許可なしにやるということで、現実の組合の実態を見るとき至極当り前のことであり、木村課長も事実上黙認の形であつた。

「諸君もしつかりやれ」という趣旨のアジ演説をしたことは絶対にない又仮にあつたとしても「しつかりやれ」という意味は七月七日当日では「区職の斗争態勢を固めよう」程度の意味で「一斉ストをやれ」という意味に解し得ないことは明かである。従つてかゝる言葉を捉えて争議行為をあおりそそのかしたものと解するのは不当も甚だしい。

(ロ) 被告は原告矢田が七月八日原告山内等と共に職場交流、支部交流のため中京区役所に赴き職場放棄を煽動したと主張しているが職場交流支部交流とは異つた職場、支部の者が、或る問題に直面して、同一組合内の組合員として互に意見を出し合い、討論を行い又各支部の情勢を報告し合つて組合内の意見調整を行うことをいうものであつて通常の労働組合における日常茶飯時の組合活動である。被告はたまたまそのことが本件賜暇斗争前に接近して行われたのを捉え一斉賜暇斗争に各職場や支部の職員を盛上げて行く組合戦術であると主張しているが何等根拠のない主張であるのみならず職場交流支部交流により斗争へ職員を盛上げて行くことが「あおりそそのかす」に該たるとするのでは組合活動の実際は全く破壊されてしまうおそれがあり地公法五二条によつて保障された団結権も危殆に瀕することになる。

又職場交流、支部交流は同一組織内における意見交換、討論、報告の一態様であるからその相手方は特定人であり、少人数であり、不特定且つ多数を相手方とする煽動という行為にあてはまらないものである。従つて仮に同原告が職場交流の中で中斗指令の内容を報告したとしても争議行為をあおつたということにはならない。

(ハ) 被告は七月九日上京区役所経済課で「職場放棄せよ」とアジつていた一団の中に原告矢田がいたと主張するもそういう事実はない。

(三) 被告市長及び被告人事委員会は地公法三七条二項に「その行為の開始とともに・・・任命上又は雇用上の権利をもつて対抗することができなくなる」とあるのを捉えて争議行為に参加した者はその争議において果した役割の比重如何に拘らず任命権者の独自の判断で恣意的に解雇されても一切文句が云えないと解しているようである、しかして如何なる懲戒処分をするか、しないかは任命権者の自由裁量に委せられているのであつて、違法性の問題従つて権利の濫用の問題を生ずる余地はないと考えているようである。しかしながら地公法三七条二項の「任命上又は雇傭上の権利をもつて対抗することができなくなる」という規定は只単に争議行為をした者は最悪の場合解雇されても仕方がないということ、即ち争議行為等は解雇理由になる旨を規定したに過ぎないのであり、争議行為等をすれば必らず解雇されるとか必らず解雇しなければならないという意味ではない、従つて争議行為等をした者は地公法二九条一項一号に該当するものとして戒告、減給、停職又は免職の処分を受けることがあるがその手続等は他の懲戒理由の場合と同様条例等で定められることになつており、又同法二七条一項の懲戒処分の公正の保障を受けているのであつてその責任の軽重によつて各種の処分を受けることになるのである。争議行為をした者だけが不公正な処分を受けても法の救済が与えられないとか、懲戒手続等の規定を無視して恣意的に処分されても仕方がないということにはならない。この点で被告等の法解釈は重大な誤を犯しているものといわなければならない。更に又争議行為者に対する懲戒処分は任命権者の自由裁量によつて各種の処分ができるという解釈は原則的には誤りではないが任命権者の主観的恣意による処分が許されているものと解してはならない。それは客観的に公正でなければならない。

自由裁量に委された処分は原則として当、不当の問題はあつても適法違法の問題は生ずる余地がないのであるが、その行為が極めて軽微な場合に著しく苛酷な処分をすることは当、不当の問題を超えて適法、違法の問題に移行することがあるのである。自由裁量行為と雖も違法な行為となる場合があり得ることは行政法理論の通説である。

況んや被告等が解する如く自由裁量行為には権利濫用の問題を生ずる余地がないどころではなく、権利濫用の法理は公法、私法を問わずあらゆる権利関係の上に君臨して妥当する正義公平の最後の砦である。

被告市長が原告池田等一二名の情状を酌量し得なかつた事情として挙ぐる同原告等の行為はいずれも否認する。

(四) 被告人事委員会に対する本訴が不適法であるとの同委員会の主張は理由がない。

と述べ、

(立証省略)

被告市長訴訟代理人は

一、先ず原告山田、同小畠の本件訴訟につき(イ)原告山田は昭和三〇年四月の京都市会議員選挙に同年四月三日付で立候補の届出をなし、昭和三一年七月の参議院議員選挙においては同年六月一二日附で同じく届出をなし、昭和三四年四月の京都市会議員選挙には同年四月八日に立候補の届出をなし、この選挙では当選し同年四月二五日付で議員資格を取得している。公職選挙法九〇条によれば公務員は立候補届出により公務員を辞したものとみなされるから同原告は昭和三〇年四月三日付の市会議員立候補届出により公務員たる身分を失つている筈である。(ロ)原告小畠は昭和三一年一月一三日に死亡している。

しかして公務員たる身分は相続人の承継し得べき性質のものではない。(ハ)固より両原告の請求が認容せらるる事情にあるときは原告山田については立候補届出をなしたる日、原告小畠については死亡の日までの得べかりし賃金相当額の損害賠償請求権を有している道理であるがこの損害賠償請求の訴の被告は京都市であるべきであり、被告京都市長ではないから関連請求として本訴において併合し得べきではない。従つて両原告の本訴請求は原告山田については立候補届出の日、原告小畠については死亡の日をもつて却下せらるべきものであると解すると述べ、

二、本案につき原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め答弁として

請求原因一、の事実は認める

同二、の事実のうち本件懲戒処分は昭和二七年七月被告市長の行わんとした人員整理に反対してなされた一斉賜暇斗争に対する処分としてなされたものであること、同年七月五日区職中央委員会が一斉賜暇斗争を決議し、この決議に基いて本件上京区役所関係の原告等を含む区職上京支部組合員三百数十名が同月一一日から一四日まで一斉賜暇斗争を実施したこと、右上京支部組合員たる職員が同月一〇日夜一斉に休暇届を提出したが上京区長においてこれを受理せず翌一一日午前二時「休暇は認めぬ」旨の電報による業務命令を提出者全員に発したこと、右斗争に参加した上京区役所職員中懲戒免職処分を受けたのは原告池田以下の一二名のみであつて区職執行委員長内藤胖、区職上京支部長志牟田幸夫等が懲戒免職処分を免れたこと、及び原告等の組合における役職はこれを認めるがその余の原告等の事実上並びに法律上の主張はすべて争う

(一)  原告等は地公法三七条は憲法二八条、二一条の規定に違反し無効であると主張するけれどもこの点については既に最高裁判所大法廷の判決(昭和二八年四月八日判決)がありその後においても最高裁判決で踏襲せられているから今更論駁の要を見ない。

(二)  原告等は地公法三七条一項後段の「何人も」の中には地方公務員は含まれぬと主張するけれども若しそうだとすると地方公務員であるが組合専従である者が一斉賜暇斗争を「企て又はその遂行を共謀し、そそのかし若しくはあおつた」場合においては同条一項前段の適用も、後段の適用もないこととなつて不合理である。従つて同条一項後段にいわゆる「何人も」の中には地方公務員及び地方公務員たる身分を有しない第三者を含むと解するのが正当であり、原告等が挙示する他の法条における「何人」という言葉も法が特に公務員に制限していない限り公務員及び公務員の身分を有しない第三者をも含むと解すべきでありこのように解しても原告等が指摘するような不合理や矛盾を生じない。

(三)  原告山田、野田、山内、矢田はいずれも争議行為を企てその遂行を共謀し、そそのかし若しくはあおつた覚えはないと主張するけれども同原告等はそれぞれ一般組合員の動向を左右し得る中心的地位を占め前記斗争を主導し得る立場にあり上京支部の一斉職場放棄が開始せらるゝや強力にこれを支持したのみならず市労連又は区職傘下の全組合員を挙げてこれに追随せしめんとして積極的に違法斗争の遂行をそそのかし若しくはあおつたのである。即ち次の如くである。

(1)  原告山田は京都市民生局に所属する事務吏員で当時市職執行委員長、市職連執行委員長、市労連共同斗争委員会副委員長の役職にあり、組合専従者であつたが

(イ) 上京区役所が一斉賜暇斗争に突入した七月一一日午前九時三〇分頃組合執行部員やその他の組合員約二、三〇名と共に糊の入つたバケツ、ハケを携帯して京都市役所本庁舎一階より調度課、市会事務局、市長公室等を経て順次四階に至り同行者と共に各部課室内や廊下に「全員仕事をやめろ」「全員職場を放棄せよ」などと煽動的言辞を記載したビラ数百枚を貼付け、その間給与課、人事課、衛生局庶務課、市会事務局、建設総務課等において執務中の各室に乱入して「上京区役所は遂に今朝より一斉賜暇に突入した事態がかくなつた上は最早ためらうことなく、上京に続いて断固職場放棄せよ」とのアジ演説を行い、途中これを制止した田島守衛長に対し「今日は規則を超えてやるからビラをはがさないで呉れ」といつたり又庁内取締責任者である芦田秘書課長から「そんなことは困るから止めて呉れ」と注意されてもこれを無視し、却つて秘書課の室内にもビラを貼り引続いて同様の行為を強行し

(ロ) 七月一一日衣笠桜谷文庫で区職上京支部組合員に対し「各支部共続いてストに入るから諸君は今暫らく頑張つて欲しい」との激励演説を行つた。

(2)  原告野田は当時右京区役所公聴室所属の職員であつて区職副執行委員長、区職中央斗争委員長の役職にあり組合専従者であつたが

(イ) 七月五日の第四二回区職中央委員会において、各支斗委員が全面的に一斉職場放棄斗争に入ることを確認する採決に参加し、この採決に基き同月七日区職中斗委員長として各支斗長に対し中斗指令第一号を発し「各支斗は七日より一斉賜暇に入り、波状的に職場交流、支部交流を行うと共に、職場常会、支部大会を持つて区長、課長に抗議を拡大せよ、以上の体勢を確立するために全員辞表を八日迄に支斗に一括して組合員の抗議の意志を組織せよ」と指令し、

(ロ) 七月七日午後四時頃十四、五名の組合員と共に左京区役所を訪れ徴収課に入り、課員の執務を停止させて課長の周囲に集合せしめた上五十二、三名位の課員に向い「考課表が提出された以上首切りがあるから一斉ストに入つて首切りと闘おう」とのアジ演説を行い、続いて経済課に廻り約三〇分にわたつて吉田課長を吊し上げ課員をして斗争に奮起せしめんがため組合の実力を威示し、

(ハ) 七月一一日午前七時頃原告山内、藤村等十数名と共に下京区役所に赴き職員の入庁を妨害するため正面玄関の鍵を当日の宿直員松本茂からその意に反して受取り、同人の返還の要求にも直ちに応ぜず正規の時間に開扉することを不可能ならしめ又一階において同区役所職員に対し「上京に同調して直ちにストに立上られたい」旨の発言をした。

(3)  原告山内は東山区役所主税課所属の職員で当時区職書記長の地位にあり組合専従者であつたが

(イ) 原告野田と同様に七月五日の第四二回区職中央委員会における各支斗の全面的スト突入の確認の採決に参加し、

(ロ) 七月七日午後四時頃原告野田等と共に職場交流、支部交流(一斉賜暇斗争に各職場や各支部(区役所)の職員を盛上げて行く組合戦術)のため左京区役所に赴き徴収課において課員を激励し、

(ハ) 七月八日午後三、四時頃三、四〇名の者を引卒して中京区役所に至り区長より退去を命ぜられたるも応ぜず執務中の戸籍課の職員に対し「上京、下京も職場放棄を決定しているから中京もやれ」と煽動し、続いて主税課に行き課長の机の上に腰をかけ課員に向い、「この課長が整理のとき首を切るのだ、上京は一斉ストを決議した、君達はこの課長と仕事をせずわしのいうことを聞け」とアジ演説をなし、

(ニ) 七月一一日午前七時前後頃原告野田、藤村等と共に下京区役所に赴き職員の登庁を妨害するため宿直員松本茂より強引に正面玄関の鍵を受取り同人の返還要求に直ちに応ぜず正規の時刻に開扉を不可能ならしめ又一階において原告野田等と共に職員に対し「上京も立上つたから下京も立上るように」と発言した。

(4)  原告矢田は当時東山区役所総務課所属の吏員で区職東山支部書記長、東山支斗委員、東山支斗長代理の役職にあつたが

(イ) 七月七日午後三時過頃伏見区役所に対する職場交流、支部交流のため組合員一〇名位と共に同区役所に赴き総務課長木村保正に対し執務中の職場において話をすることを許可されたい旨交渉し同課長がこれを拒否するやそれでは実力でやろうといつて総務、戸籍、経済の三課が入つていた大部屋の窓口辺に立つて五十余名の職員に対し「上京も立つた。右京も立つだらう外のところも立つだろう、だから諸君もしつかりやれ」とアジ演説をなし、

(ロ) 七月八日原告山内等と共に職場交流、支部交流のため中京区役所に赴き職場放棄を煽動し、

(ハ) 七月九日午前一一時頃上京区役所経済課で一団の人達が「職場を放棄せよ」とアジつていたがその中に同原告もいた。原告山田、野田、山内、矢田の具体的行動内容は叙上の如くであるが元来一斉職場放棄斗争は単に上京支部のみにつき企図せられたものではなく、市、区職傘下の組合員全部について企図せられたものであつて、同原告等は市役所本庁或は各区役所の職員をしてこれを実行せしめんがためにそれをあおり、そそのかしたものである。

(四)  原告中西は一斉賜暇斗争の決議には服したけれども歯痛のため歯科医の治療を受け自宅で静養していたので現実には右斗争に参加していないと主張するけれども同原告は七月一一日午前八時から九時頃までの間烏丸今出川少し西入る南側の菓子屋の前で登庁せんとする上京区役所職員に対し一斉賜暇斗争に参加するよう勧めていたし又同日午前七時半頃同原告が上京区役所西門西側の管理課入口辺に立つているのを見た人もいる、殊に同原告は区職上京支部青年部副部長の地位にあり、ピケ隊の副隊長となつていたものであるから歯痛程度でこの重大な役割を放棄する筈がない。従つて同原告が七月一一日から実施された上京区役所職員の一斉賜暇斗争に参加していたことは疑う余地がない。

(五)  原告等は本件一斉賜暇斗争に入るまでの原因経過を述べ被告市長の組合否認の態度によつてやむを得ずとつた手段であるから社会的相当行為として違法性を阻却されるとか或は一斉賜暇斗争は労働基準法によつて労働者に認められた年次有給休暇請求権の行使であつて違法ではないと主張するけれどもいずれも一方的見解で不当である。

(イ)  以下本件一斉賜暇斗争が行われるに至るまでの経過と斗争の状況について述べる。

被告市長は「市政内部の無駄を省き市民サービス面の向上を計る」目的をもつて地公法二八条一項一号乃至三号に掲げる基準に照らし昭和二七年七月中旬人員整理を行うことゝなつたが右の人員整理に関しては豆区役所の廃止統合問題とからんで区職において当初より強硬な反対態度を示し既に七月五日には区職中央委員会で一済賜暇斗争を決議し傘下各支部においても同日より区長をつるし上げ庁内各所に首切り反対ビラを貼付し、又一部外勤職員は職場を離脱して支部区役所組合に対して遊説を行い、組合の士気の鼓舞に努め、職場秩序の混乱或はそれに伴う事務の停滞をも意に介せずひたすら一斉休暇態勢の確立を図つた。かゝる組合幹部の煽動による反対斗争の悪質化を未然に防止して部内の徒らな動揺を避け且つ市政の円満な運営を確保するため七月九日被告市長はその名をもつて「職員諸君へ」と題する今次整理の趣旨を明示した訓示文を掲示し、配布すると共に市長自ら区役所に赴いて人員整理の趣旨説明を行い、併せて職員の自重を要望する等に努力を続けたのであるが組合側は頑迷にもこれを無視し、一〇日未明遂に「七月一一日より一斉職場放棄斗争に入る」ことを決定し、この決定に従い、翌一一日より上京区役所職員の殆んど全員と水道局の約半数職員が市長の職務命令を無視して一斉休暇による職場放棄を行い一時は京都市の全職員に波及せんとする状態であつたが被告市長等理事者の時宜を得た対策により未然に防止することを得たのである。原告等は被告市長が団体交渉にも応じなかつたようにいうが市長は非組合員を交えての団体交渉が徒らに空気を激化せしめる過去の経験からして非組合員を交えての団体交渉を拒否したに過ぎない。右のように区役所中で上京区役所のみが一斉賜暇による職場放棄を行つたのであるが上京区役所職員が職場を放棄した七月一一日、一二日及び一四日(一三日は日曜)の状況について見れば全職員三百数十名の中出勤してその業務についていたものは非組合員及び管理課員等少数の者のみであつてその正常な業務は全く停止せられるに至つている。区職上京支部は他支部に比し当初より最も活溌な動きを示していたのであつて

七月七日には職場委員代表、八日以降においては主税課、徴収課等の一部職員が組合側のいわゆる「職場交流戦術」に基き集団的にそれぞれ執務中の中京、東山、左京等他区役所へ激励遊説に赴き或は他の区役所からの来庁を迎えてこれに合流の上アジ演説等を行う等の行為があつたゝめ、職場秩序は漸次混乱の兆を呈したので同月九日区長は係長以上の会議を招集して職員の服務に関し厳正な監督を指示すると共に前記「職員に告ぐ」の市長訓示を各課長を通じて部下職員に説明せしめ更に午後三時には市長自ら来庁して前述の巡回説示を行つたのである。しかるに七月一〇日午後一時に開かれた同支部職場委員会においては前述の区職中央委員会の決定並びに指令に基き「明一一日より一斉職場放棄に突入する」旨決議を行い、同委員会終了後直ちに全組合員に休暇届の用紙を配布して一応一一日以降一〇日間の休暇届を記入せしめるという事態に立至つたので区長は改めて全員に自重を促す庁内放送を行い各課長も極力部下職員の説得に努めたのであるが支部斗争委員会(以下支斗という)幹部は支部内の職場を巡回して一斉職場放棄突入のアジ演説を行い、或は個々に説得して廻り遂に少数の非組合員及び三〇名位の管理課職員(この課は当初から一斉賜暇斗争には反対であつた)を除く全職員の休暇届の蒐集を完了した、続いて午後五時半より総蹶起大会を開いて組合幹部より今次斗争に関する経過報告及び一斉休暇突入を決議するに至つた事情を説明した後今後の行動について激励し、大会終了後は各職場委員を介して明一一日一斉職場放棄の上集合すべき場所について支部組合員に詳細な指示を行つた。かゝる情勢に対し区長は同日午後一〇時頃より支斗長以下組合幹部を招致し、違法斗争の中止を促したに拘らず考慮の色なく全員の休暇届を提出せんとしたので区長は受理を拒否し、且つ休暇届を認めない旨を言明したが幹部は休暇届をおいたまゝ退庁した。明けて一一日午前二時頃区長名をもつて「休暇認めぬ、出勤せよ」との電文による業務命令を全員に発すると共に、出勤時間前より区長以下各課長が市電停留場等に赴いて極力職員の登庁を計つたのであるが組合幹部の誘導は巧妙を極め、同区役所附近にピケラインを張つて組合員の登庁を阻止した上各所定場所への集合を強要したので遂に同日から一斉職場放棄の違法斗争が開始せらるゝのやむなきに至つた。

かくて船岡公園、智恩院外数ケ所に分散集合した組合員はそれぞれ組合幹部の指導下に数班に分れて勤務中の下京、東山等他区役所の各職場に侵入し上京支部に同調するようアジり廻つた後衣笠桜谷文庫に全員集結し、(下京区役所に赴いた班は同区役所の職員が平常通り勤務しているのを見て全員一応帰庁したのであるが幹部の巧みな誘導により結局同所に集合した)終日職場放棄を続けたゝめ、一二日午前一時頃市長名をもつて「迷わず職場に帰れ」との電文による職務命令を発した、しかしながらこの職務命令の打電や前日同様の区長以下各課長の玄関前や電車停留場における登庁誘導の努力等にも拘らず一二日(土曜)も組合側のピケや煽動によつて出勤する者は殆んどなく幹部の指示通り、平安神宮、四条大宮等に分散集合した後上賀茂菖蒲園に移動し同所において幹部或は外部者の激励演説を行う等この日も終日職場放棄が行われた。翌一三日(日曜)も組合幹部は内部結束を固めて組合員の脱落を防止するため支部組合員全員を出町柳に集合せしめた上比叡山に誘導し自ら山上に赴いた区長等の説得をも拒否して明日の行動を指示して夕刻下山せしめた。しかし翌一四日には引続き職場放棄の目的で北野、四条大宮等に集合を指示せられた組合員も出勤勧告に赴いた所属課長係長と共に逐次職場に復帰し一五日には殆んど全員が出勤することゝなつた。

(ロ)  叙上の如く上京区役所職員が一斉になした休暇なるものはその実人員整理反対斗争の手段として組合の指導下になされた職場放棄であるから有給休暇請求権の法律上の性質如何に拘らず地公法三七条一項前段の争議行為に該当することは明瞭である。(区長の職務命令もこの観点から発せられたものである)。

各職員が適法に行使した休暇請求権の集合したものであるとか、業務の正常な運営が害せられたかどうか明かでないとかというが如き原告等の主張は叙上当時の状勢を全く無視した論でとるに足らない。仮に職員各自がその有する休暇請求権を行使したものであるとしても本件におけるが如く全職員が斗争手段として一斉に休暇請求権を行使するが如きはそれ自体権利の濫用として許されないこと勿論である。

(ハ)  又原告等主張の社会的相当行為論は叙上斗争に至るまでの経過と上京区役所職員のみが一斉賜暇斗争に踏切りその他の各区役所職員は良識をもつて踏切らなかつた事実(七月一〇日における他の区役所の情況は左京区役所は決行と決定したものゝなお明朝(一一日)全員大会で確認することを決定、東山及び中京区役所はそれぞれ明朝午前八時に区役所附近に集合の上大会を持つことに決定、右京、伏見、下京の各区役所はいずれも一応見送ることに決定、結局上京以外の区役所職員は上京区役所職員に同調せず遂に立上ることはなかつた)に照らすと本件の場合に適切であるかどうか自明のことに属する。

(六)  原告等は本件懲戒処分をもつて裁量権の範囲を逸脱した違法無効のものであると主張するけれども地公法三七条二項は職員で争議行為又は怠業行為をなした者或はこれ等の行為を企て、共謀、あおりそそのかした者(以下便宜上争議行為者という)は「その行為の開始と共に地方公共団体に対し、法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に基いて保有する任命上又は雇用上の権利をもつて対抗することができなくなる」と規定しており、こゝに対抗することができないというのはこれらの職員につき苟しくも争議行為又は怠業行為をなし或はこれらの行為を企て、共謀又はあおりそそのかした事実が明かに認められる限り当該職員は分限上の保障及び懲戒上の保障を主張し得ない即ち懲戒として免職、停職等の処分を受けてもやむを得ないという趣旨を定めたものと解するのが正当である、従つて争議行為者等を必らず免職せねばならないという趣旨は示されていないことは固よりであるが免職せられてもやむを得ないということを意味しているのである。勿論任命権者は争議行為者につき懲戒処分として免職以外の処分をなし得るのであつて、如何なる懲戒処分をなすかは任命権者の自由裁量に委されていることは一般の場合と同様であるが争議行為者等に対し懲戒免職処分がなされた以上は争議行為者はその不当性を主張し救済を求めることができないことになるのである。それ故に当該職員が争議行為等を行つたことが明かである限り地公法三七条二項の適用に関しては処分の違法又は不当というような問題は起り得ないのである。

尚公共企業体等労働関係法一八条は「・・・解雇されるものとする」と規定し、又地方公営企業労働関係法一二条一項は「・・・解雇することができる」と規定し、国家公務員法九八条六項、地公法三七条二項と異る表現を用いている従つて前二者については任命権者は解雇するとか或は解雇しないかの選択はなし得るがその他の懲戒処分はなし得ないものと解されているが後二者については如何なる懲戒処分を行うかは任命権者の自由裁量に委されているものと解される、しかも後二者についても前述の如く当該職員が争議行為等を行つたことが明かである限り懲戒免職に付せられてもその救済を受けるための何等の手段を有しないことは前二者の場合と同様である(佐藤功、鶴見良一郎著公務員法四〇六頁、藤井貞雄著地方公務員法逐条解説一七一頁、峯田礼二郎、宮沢弘著地方公務員法の解説一二二頁、峯村光郎、有泉享著公労法、地公法一二〇頁、二三〇頁参照)しかして本件において原告等が違法の争議行為をなし又はこれをあおりそそのかす等の行為をしたことは既に述べたところによつて明かであるから原告等は被告市長に対しその処分の違法又は不当を主張することはできない。

仮に百歩を譲つて原告等において処分の違法を主張し得るとの見解に立つても被告市長は原告等に対する処分の公正に行われたものであることを主張する。

原告山田、野田、山内、矢田等が懲戒免職処分を受けたことは前認定の同人等の役職並びに行為より見て当然であつて原告等主張の如き思想上の理由又は組合弾圧の政治的意図をもつてなされたものではない。

それ以外の上京区役所関係の原告等についても同様であるが同じく争議行為に参加した三百数十名の職員中原告等のみを懲戒免職処分に付した経過並びに事情は次のとおりである。

上京関係原告等の中原告大島以外の者は七月一二日夜深更にわたる市長公舎における会議(出席者高山市長、夏秋助役、友田公室長、山田給与課長、笠木人事課長、並川労政係長、岸本人事係長等)において城戸上京区長の意見を十二分に取入れた上決定せられ、一三日発令せられたのである。当初三〇名位が懲戒免職処分の対象とせられたが検討の末区職及び上京支部の執行委員並びに青年部及び婦人部の三役を指導的役職にあつたという理由のみに基いて懲戒免職処分に附することゝし、それと同時に一方においてこのグループから特に情状を酌量し減じ得るものを除外し、他方において指導的役職になくともこれと同様の指導的役割を果した者を加えることゝなつて結局原告等が懲戒免職処分に付せられることゝなつたのである。なお原告大島は第一次処分会議では留保になつたが後の調査の結果七月二五日付で処分せらるゝことゝなつた。以下当時上京区長や他の職員の情報によつて明かとなつた原告等の行為を述べる。但しこの事実は処分の理由ではなく情状酌量し得なかつた事情である。

(1)  原告池田妙子、同人は上京区役所戸籍課に勤務し区職上京支部婦人部書記長であつたが

(イ) 七月一二日上賀茂菖蒲園において他区役所がストに入らなかつたことを聞き動揺していた組合員に対しストを続行せしめるため強い発言をし、

(ロ) 七月一一日ストに参加せず一二日も参加しなかつた上京区役所総務課区長付月里敏子に対し、同日(土曜)昼頃帰らうとしている同人をつかまへ、主税長や二、三の課長の前で「上京支部全職員がストライキに入つているのに婦人部員の一人である貴女だけが皆と行動を共にしていないことは婦人部の名誉にもかゝわるから皆と行動を共にして皆の集合している場所へ来て欲しい」と要望し、同人が肯んじなかつたのでその後も重ねて説得し遂に同人を集合場所に同行した。

(2)  原告藤村恒夫は上京区役所主税課に勤務し区職青年部長であつたが

(イ) スト当日の七月一一日朝七時前下京区役所に激励に行き、松本宿直員から正門扉の鍵を強引に受取り庁員の登庁を妨害せんと企てた原告山内、野田等十数名の一団中に同原告もいた、

(ロ) 同じく同日午前八時から九時までの間に新町今出川停留所と上京区役所の中間辺で登庁する職員と思われる者を説得していた

(ハ) 七月一二日朝青年部書記長坂井と共に青年部員を指導して上京区役所前で脱落者防止のためピケを張らせた

(ニ) 七月一一、一二日今出川新町停留場で登庁職員に集合地に行くよう指示していた

(ホ) 七月一二日ストに参加せず職場にいた徴収課第一係長谷地孝一に対し「組合員が全部集結している上賀茂へ来て欲しい」と誘いに来たので谷地はつるし上げられると考へ「行かない」と云つたところ再三強要の上「今後一切身の保証はしないぞ」と脅迫した。

(3)  原告浦本信子は上京区役所総務課に勤務し区職上京支部執行委員であつたが一斉賜暇斗争に参加しないという立場をとつていた収入役代理沢野信太郎に対しスト前日の一〇日に原告坂井と共に二、三回にわたり「何故休暇届を出さないか、職務上だといつても課長がいるのだからそれに任せておけばよいではないか」と云つて職場放棄を、強要した

(4)  原告大島鶴松は上京区役所経済課に勤務し、区職上京支部副支部長で、支斗長であつたが

(イ) 支部長であつた志牟田幸夫脱落後事実上支部長の職を代行し、

(ロ) 七月八日頃組合が召集した係長会議において「係長は職制上苦しいだろうが同調して一斉ストに参加して欲しい」と要望し、

(ハ) 七月一〇日午前九時上京区役所休養室において支斗委員会を、同日正午より同区役所別館二階において拡大支斗委員会を召集開催し又同日午後四時三〇分様式を示して職員全部から一〇日間にわたる一斉賜暇願を書かせて取纒め更に同日午後五時三〇分頃より同区役所三階会議室において総蹶起大会を召集開催し士気を鼓舞し、

(ニ) 七月一〇日午後休暇願を出し渋つていた徴収課の職場大会で「区職の足並が揃つた、出さないのは徴収課だけだ」と発言し休暇届を出すよう勧告し

(ホ) 七月一一日午後四時五〇分頃左京区役所において二階で開催中の職場大会に臨み一斉賜暇斗争に入るよう煽動した

(5)  原告永田宗一は上京区役所主税課に勤務し区職上京支部青年部長であつたが

(イ) 七月八日午後三時から五時までの間、一〇名乃至一五名の組合員と職場交流、支部交流のため伏見区役所に行き職場放棄するよう煽動し、

(ロ) 青年部がピケを担当していたが同原告は青年部長としてピケ隊長の役割を果した。

(6)  原告中西理一郎は上京区役所管理課に勤務し区職上京支部青年部副部長であつたが

(イ) 七月七日から一〇日までの間一部職員に対し執行部の方針に従うよう活溌に勧誘し、

(ロ) 七月一一日午前八時から九時頃までの間に烏丸今出川少し西入る南側の菓子屋の前で登庁する職員に一斉賜暇斗争に参加するよう勧めた(同人はピケ隊副隊長の地位にあつた)

(7)  原告広岡保は上京区役所総務課に勤務し区職上京支部書記長であつたが

(イ) 支部長志牟田幸夫の脱落後支部長の職を代行した大島鶴松を補助し大島と共に前記原告大島の項(ハ)において述べた行為をした外七月一〇日午後九時頃応接室において城戸区長に面接し、上京支斗委員代表として全員の賜暇願を一括提出し

(ロ) 七月七日徴収課の職場大会で「皆に迷惑はかけないから作戦は執行部に任して欲しい」と発言し

(ハ) 七月一〇日午後四時頃休暇願を出し渋つていた徴収課の職場大会に臨み「区職の足並は揃つた、出さぬのは徴収課だけだ」と発言し強く出すことを要望し

(ニ) 七月一一日午前九時三〇分頃下京区役所の執務振りを見て中止気分で帰庁した職員に対し弱気を嗜め士気を鼓舞し

(ホ) 七月一二日上賀茂菖蒲園において、他の区役所がストに入らなかつたのを聞いて動揺した組合員に対しストを続行せしめるよう指導した

(8)  原告坪田潤平は上京区役所徴収課に勤務し、区職青年部書記長であつたが

(イ) 七月七日から一〇日までの間職員に対し一斉賜暇斗争に参加するよう強く要求し

(ロ) 七月八日午後三時から五時までの間に職場交流支部交流のため伏見区役所に行つた十数名の一団に交つていて職場を放棄するよう喋つた。

(9)  原告森田昭は上京区役所総務課に勤務し、区職上京支部職場委員であつたが

(イ) 七月七日から一〇日までの間一部職員に対し何回となく執行部の方針に従い一斉賜暇斗争に参加するよう勧め

(ロ) 七月七日から一〇日までの間に数回の職場会議でその会議を主宰しストをためらつていた総務課職員に対して執行部の方針に従うよう強く発言し

(ハ) 七月一一日朝には大谷大学へ行くよう七月一〇日に指示し、七月一一日大谷大学で京都駅に変更になつたからと指示し、スト中組合員を指導した

(ニ) 七月一一日スト中の上京職員は船岡公園から京都駅に行き、下京区役所に行つたが下京が勤務しているので百数十名の組合員はだまされた中止しようとの空気になり上京に帰り三階で大会を開いたがその討論の際他の係長数名と善後策を講じていた谷地孝一に対し同原告は他人を勧誘することは止めておけと脅迫した。

(10)  原告関知彦は上京区役所戸籍課に勤務し区職上京支部青年部常任委員であつたが

(イ) 七月一一日午前九時三〇分頃下京の職員が執務しているのを見て中止気分で帰庁した上京職員の弱気を嗜め士気を鼓舞し、

(ロ) 左京区役所の情勢は上京に次いで悪るかつたが未だストには入らなかつた、同原告は一一日午後二、三時頃同所に赴きアジ演説をし、

(ハ) 七月一二日上賀茂菖蒲園において他の支部がストに入らなかつたことを聞き動揺した組合員にストを続行するよう強く発言し

(ニ) 七月一二日前日に引続きストに参加しなかつた沢野収入役代理を同原告は他の三名の者とつるし上げたが三人の中原告が最も強硬であつて、「我々四人は別に貴方をどうする積りはないが他の組合員はどうするか分らない、それは覚悟の上だね」と再三脅迫しストに参加するよう強要した

(11)  原告坂井泰男は上京区役所経済課に勤務し区職上京支部青年部書記長であつたが

(イ) 七月七日から一〇日までの間、一部職員に対し何回も執行部の方針に従つて一斉賜暇斗争に参加するよう勧め

(ロ) 七月一〇日沢野収入役代理に対し休暇願を出すよう何回も要求し

(ハ) 七月一二日ピケ隊幹部として青年部員を指導して脱落者防止のため上京区役所にピケを張らせた

(12)  原告小畠(既に死亡)は上京区役所経済課に勤務し組合の役職は有しなかつたものであるが

(イ) 同人は終始黒幕の人物として活動し

(ロ) 七月七日の職場会議において一職員の悪法も守らなければならぬとの発言に対し同人は「現在憲法自体が守られているか、守られていないではないか」と強く反駁し地公法違反も行政整理の前にはやむを得ないという雰囲気を醸成するに努め

(ハ) 七月八日頃組合が召集した係長会議で某係長が「立場上困る」といつたに対し「それを考慮する必要はない、戦争政策に反対する意味においても同調すべきだ」とか、事態がかくなつた以上一斉休暇による外はない等煽動的発言をした。

次に当然責任を負い懲戒免職処分を受くべき役職にありながら処罰を減ぜられた訴外人について述べる。

(1)  内藤胖、同人は上京区役所徴収課に属し区職執行委員長の職にあり、組合専従者であつたが

(イ) 七月八日午前一時半頃三条ホテイ館に区職支部長や区職の幹部が集つているとの情報があつたので当時の給与課長であつた山田三郎が急遽赴き明方まで説得に努めたところ、一同は納得してその後はスト防止に努めることゝなりそのため上京以外の区役所はストに入らなかつたのであるが内藤は区職委員長としてその役職の手前一応は先頭に立つような形はとつたがその実裏面では情報を入れて呉れたのであつて、この情報のため理事者はスト防止対策に万全を期し得たのであつた。このようなスト防止の協力が買われ懲戒免職処分を免れることゝなつたのである(停職二ケ月)

(ロ) なお同人には右の事実を裏書する左の事実がある、同人は一部の者から日和見主義者だとか、ダラ幹とか云われ弱腰で批難されていた。

又七月一一日下京区役所が平常通り執務している状況を見て中止気分になつて上京区役所に帰つて来た百数十名の組合員は中斗委員を激しく批難し原告野田、藤村、大島等はその弁解に困つていたが内藤はその間姿を見せなかつた

(2)  志牟田幸夫同人は上京区役所戸籍課に勤務し区職上京支部長であつたが内藤区職執行委員長と同様、前記ホテイ館における山田課長の説得に応じ、その後は脱落し、現に七月一〇日午前九時に上京区役所休養室で開かれた支斗委員会や同日正午同区役所別館二階で開かれた拡大斗争委員会にも欠席している、これが懲戒免職を免れた理由である。(停職一ケ月)

(3)  川合平三、同人は東山区役所に勤務し東山支部副支部長として当初は先頭に立つて活躍していたが後脱落した(停職一ケ月)

(4)  細川義信同人は上京区役所第六出張所に勤務し区職上京支部執行委員であつたが城戸区長の大したことはなかつたとの意見により減給処分にした

(5)  仲山米敏同人は上京区役所主税課に勤務し、区職上京支部執行委員であつたがこれも城戸区長の同様の意見により減給処分に止めた

(6)  若松寿美江、水谷武夫、三木勉

若松は上京区役所公聴室に勤務し区職上京支部婦人部長、水谷と三木はいずれも同所徴収課に勤務し区職上京支部執行委員であつたが城戸区長の同人等は大したことはなかつたとの意見により減給処分にした

(7)  富田昭、松井光司富田は上京区役所徴収課に勤務し、区職上京青年部常任委員、松井は上京区農業委員会に勤務し組合の役職関係はなかつたが両名はピケを張つていて中立売署に逮捕せられたということがあつたので減給処分を受けた

(8)  野々口美代子同人は上京区役所総務課に勤務し、区職上京支部婦人部副部長であつたが城戸区長の成績が極めてよく、大したことはなかつたという意見を入れて戒告処分に止めた

と述べた。

被告人事委員会代表者は原告等の請求を却下するとの判決を求め、その理由として被告人事委員会の判定は原告等の審査請求を棄却したもので任命権者たる被告市長の原告等に対する処分については直接判定の効果を及ぼすものではない。即ち地公法三七条二項の適用ある事実あることを認めたもので、任命権者の処分との関係においては何等形成的効力をもつものではない。ところで原告等の請求は一方において任命権者の原告等に対する懲戒免職処分の取消を求めるものであり、裁判所で審理の結果原告等の請求が理由ありとされる場合は任命権者の懲戒免職処分について判決され被告人事委員会の判定はその判決の効果に対して拘束力を持たないものである。それ故被告人事委員会の判定を取消す必要はない。又被告人事委員会は任命権者並びにその職員であつた原告等のいずれにも偏することのできない第三者たる地位において構成されている審判機関であるから本件争の当事者となり得ないと述べ、

請求原因に対する答弁として請求原因一項の事実は認めるも被告人事委員会の判定が法令の適用を誤り証拠に基かない事実誤認の違法を犯せるもので取消を免れないものであるとの主張は認めないと述べた。(証拠省略)

理由

第一、原告山田幸次、同小畠直光の本件訴の適否について。

同原告等の本訴請求は結局同原告等が本件懲戒免職処分によつて失つた京都市職員としての地位の回復を求めることを目的とするものであるところ、原告小畠が昭和三一年一月一三日死亡し又原告山田が昭和三四年四月二三日施行の京都市会議員選挙に立候補して当選し同議員となつたことは当事者間に争がないから同原告等は本件懲戒免職処分が取消されても最早元の地位に復するに由がないこと明かである、(公務員と議会議員と兼務しえないことについては公職選挙法八九条乃至九一条参照)そうすると同原告等の本訴請求は現在においては最早その目的を失い、本件判決を求める実益は失われているものといわなければならない。

同原告等代理人は本件懲戒免職処分が取消されて同原告等の公務員たる身分が回復すれば免職処分時より死亡又は議員資格取得時までの給料支払等の請求訴訟をすることができ、この請求が認容されるためにはその先決問題として本件処分が取消されることが必要であるから同原告等の本訴請求はなお法律上の利益を有する旨主張するけれども、若し本件懲戒処分が原告等主張の如き理由によつて違法無効のものであるとすれば本件判決によつてその取消がなされなくても、原告山田及び原告小畠の遺産相続人は別訴を以て京都市を相手方として給料支払等の請求訴訟を提起することができ、理由ありと認められれば勝訴の判決をうることもできるから本訴が維持されなければ別訴の途も塞さがれるものということはできない。しかして別訴の前提問題解決の便宜のためのみで本件判決を求める法律上の利益があるものということはできないから右原告等代理人の主張は採用しえない。

よつて同原告等の本訴はいずれも却下せらるべきものである。

(最高裁昭和二六・一〇・二三日判決最高裁判例集五巻一一号、最高裁昭和二七・二・一五日判決同判例集六巻二号、最高裁昭和三一・一〇・二三日判決同判例集一〇巻一〇号、東京地裁昭和三一・一二・一五日判決行政判例集七巻一二号、大阪高裁昭和三二・一一・七日判決行政判例集八巻一一号参照)

第二、被告人事委員会に対する本訴は不適法であるとの同委員会の主張について。

被告人事委員会は本件判定は原告等に地公法三七条二項の適用ある事実を認めて、審査請求を棄却したものであつて、被告市長のなした懲戒処分の当否を判断したものでないから、原告等が被告市長に対し本件懲戒処分取消の訴訟を提起している以上(本件判定は右懲戒処分取消の判決がなされた場合、この判決に対して拘束力を有しないから)本件判定の取消を求める必要はない旨主張し、又被告人事委員会は公平なる第三者の地位において構成されている審判機関であるから本件争の当事者となり得ない旨主張し、原告等の被告人事委員会に対する訴の却下を求める。

しかしながら職員は懲戒等不利益処分を受けたときは人事委員会に対し当該処分の審査を請求する権利があり(地公法四九条)該審査請求に対する人事委員会の判定に違法が存するときは正当な判定を受ける権利を害せられたことになるから裁判所に対し訴訟をもつてその救済を求めることができるものと解すべく(憲法三二条、地公法八条七項、八項参照)、この救済を求める権利は人事委員会の判定が不利益処分を承認した場合であると、審査請求を棄却した場合であるとによつて異らず又職員が別に任命権者に対し不利益処分取消の訴を提起していると否とによつて消長を来すものではないといわなければならない。本件において原告等は被告人事委員会に対しそのなした判定自体に違法が存することを主張しその取消を求めるものであるから、被告人事委員会主張の如き理由によつて原告等に出訴の権利がないものとなすことはできない。又人事委員会は審査請求に対する訴願裁判庁(上級行政庁)であつてそのなす判定は行政処分に外ならないから違法な判定の取消を求める訴につき被告適格を有することは行政事件訴訟特例法第一条第三条の規定によつて明かである。

よつて被告人事委員会に対する原告等の本訴をもつて不適法として却下せられるべきであるとなす同委員会の主張は採用し得ない。

第三、本案について。

原告等がいずれも京都市の職員として、原告野田は右京区役所公聴室に、原告山内は東山区役所主税課に、原告矢田は同区役所総務課に、原告池田、同関は上京区役所戸籍課に、原告藤村、同永田は同区役所主税課に、原告浦本は同区役所公聴室に、原告大島、同坂井は同区役所経済課に、原告中西は同区役所管理課に、原告広岡、同森田は同区役所総務課に、原告坪田は同区役所徴収課に、それぞれ勤務し、地方公務員の身分を有していたこと、被告市長が原告野田、同山内。同矢田に対しては地公法三七条一項後段該当の行為があつたとして、その余の右原告等に対しては同条一項前段該当の行為があつたとして地公法二九条一項一号の規定に基き原告大島以外の者に対しては昭和二七年七月一三日付をもつて、原告大島に対しては同年同月二五日付をもつて、それぞれ懲戒免職処分を行つたこと、右処分は被告市長が同年七月に行わんとした職員の人員整理に関し、京都市職員労働組合連合会(市労連)傘下の組合特に京都区役所職員組合(区職)が強硬な反対気勢を示し、同年七月五日の区職中央委員会で一斉賜暇斗争を決議し、この決議に基いて区職上京支部組合員三百数十名が七月一一日より一四日まで一斉賜暇斗争を実施したことに関し、原告野田、同山内、同矢田等は争議行為をあおり、そそのかす等の行為をし、その余の右原告等は争議行為に参加したとしてなされたものであり、右上京円役所職員の一斉賜暇斗争に原告池田、同藤村、同浦本、同大島、同永田、同広岡、同坪田、同森田、同関、同坂井等が参加したこと、原告等が右被告市長の処分を不服としてそれぞれ主張の日時に、被告人事委員会に処分取消の審査請求をなしたが昭和二九年五月八日原告等の請求を棄却する旨の判定がなされ、同日判定書が原告等に送達せられたことはいずれも当事者間に争がない。

ところで原告等は被告市長のなした右懲戒処分は違法無効のものであり、被告人事委員会のなした右判定も違法であると主張するので以下原告等主張の違法事由の有無について順次判断する。

一、地公法三七条一項の規定は憲法二八条、二一条に違反するとの主張について。

原告等代理人は憲法二八条の保障する勤労者の団結権、団体交渉その他の団体行動権は公共の福祉その他如何なる名目によつても制限することのできない基本的人権であるから地方公務員に対し争議行為等を禁止した地公法三七条一項の規定は違憲無効であると主張するけれども、憲法の保障する各種の基本的人権についてそれぞれに関する各条文に制限の可能性を明示していると否とにかかわりなく、憲法一二条、一三条の規定から公共の福祉の制限の下に立つものであり絶対無制限のものでないことは最高裁判所がしばしば判示するところである。しかして憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は勤労者の生存を確保する基本的手段として極めて重要なものであるが、しかしやはり公共の福祉のために制限を受けるのは己むを得ないところである。殊に地方公務員は住民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために、勤務し且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(地公法三〇条)職務を有するものであるから団結権、団体交渉その他の団体行動権についても一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。従つて地公法三七条一項が地方公務員の争議行為を禁示したからとて、これをもつて憲法二八条に違反するものということはできない。(最高裁昭和二八・四・八日、昭和二九・九・一五日各大法廷判決参照)

次に原告等代理人は地公法三七条一項後段の規定が地方公務員に対し争議行為等をなすことをあおり、そそのかすことを禁止しているのは言論その他表現の自由を保証する憲法二一条に違反するから右規定は無効であると主張するけれども地方公務員に対し争議行為をあおり、そそのかすことは住民全体に奉仕すべき地方公務員の重大な義務の懈怠を慫慂し、教唆するものであつて、公共の福祉に反し憲法の保障する言論その他表現の自由の限界を逸脱するものである。従つて地公法三七条一項後段がすべての人に対しかゝる行為を禁止し、同法六一条四号が違反者を処罰する旨定めたからとてこれをもつて憲法二一条に違反するものとはいえない。(最高裁昭和三〇・一一・三〇日大法廷判決参照)

よツて原告等代理人の違憲論はいずれも独自の見解で到底採用しえない。

二、地公法三七条一項後段の規定は地方公務員には適用がないとの主張について。

原告等代理人は地公法三七条一項後段にいわゆる「何人も」の中には地方公務員は含まれると主張するけれども文理上からいつても地方公務員が含まれること極めて明白であるのみならず同規定を設けた立法趣旨からいつて地方公務員を除外すべき理由はない。原告等代理人の主張は独自の見解で採用の限りでない。

三、原告野田、同山内、同矢田に被告市長主張の如き違法行為があつたかどうかについて。

(一)  原告野田が区職副執行委員長、区職中央斗争委員長、原告山内が区職書記長、原告矢田が区職東山支部書記長、同支部斗争委員、支斗長代理の役職にあつたとは当事者間に争がない。

(1) (原告野田の行為)

(イ) 成立に争のない乙第八号証、第六号証及び原告野田本人尋問の結果(四六三丁裏以下)によると同原告は昭和二七年七月五日開催の第四二回区職中央委員会における「一切を中斗に委かせ各支斗は全面的にスト(一斉賜暇)に入ることを確認する」旨の決議の採決(全員一致)に参加し、右決議に基き同月七日区職中央斗争委員長として区職各支部斗争委員長に対し、「一斉賜暇体勢と職場交流について」と題し「ファツシヨ的戦争準備の馬脚を表わした高山、友田の首切りに対して、我々は一斉賜暇を以つて斗うしか勝利はない従つて(一)各支斗は七日より一斉賜暇の体勢に入り(二)波状的に職場交流、支部交流を行うと共に(三)職場常会、支部大会を持つて区長、課長に抗議を拡大せよ(四)以上の休勢を確立するために全員辞表を八日迄に支斗に一括して組合員の抗議の意思を組織せよ」と記載した中斗指令第一号を発し、以て争議行為を共謀し、あおり、そそのかしたことを認めることができ、

(ロ) 右認定の事実に、真正に成立したものと認められる乙第一〇号証(人事委員会第五回口頭審理調書)中証人川畑貞三の供述記載部分(六一二丁裏乃至六一六丁)、当裁判所における証人川畑貞三(二四四丁以下)、同吉田末吉(三〇八丁以下)の各証言、及び原告野田本人尋問の結果(四六七丁以下但し、後記措信しない部分を除く)を綜合すると原告野田は左京区役所職員をして一斉賜暇斗争に蹶起せしめる目的をもつて、同月七月七日午後四時頃原告山内外区職中斗委員等十数名と共に、同区役所に至り徴収課の部屋に入り、同課長川畑貞三に対し「お前は考課表を出しただらう、何名出したか」などと詰問した上同室で執務中の課員五二、三名に向い「「この課長は首切り課長だからわれわれは実力で斗争する、君達も仕事をやめてわれわれのいうことを聞け、既に考課表が出された以上首切りがあるから一斉ストに入つて右首切りと斗おう」と争議行為をあおり、そそのかす趣旨のアジ演説をなしたことを認めることができ、

(2) (原告山内の行為)

(イ) 同原告は前示七月五日の区職中央委員における決議の採決に参加し、以て争議行為を共謀し(証拠関係は原告野田の(イ)頃において挙示せるものゝ外原告山内本人の供述、四九七丁裏以下)

(ロ) 右決議に参加せる事実に、前示乙第六号証((中斗指令一号)、証人挾間富来(二八三丁以下)、同立田喜久雄(三一八丁以下)、同出村章(三二二丁以下)、同花村昭治(二七四丁裏以下)の各証言及び原告山内本人尋問の結果四九八丁裏以下、但し後記措信しない部分を除く)を綜合すると原告山内は中京区役所職員をして一斉賜暇斗争に蹶起せしめる目的をもつて昭和二七年七月八日午後四時頃同区役所に至り、相前後して来た区職青年部員等約三〇名と共に主税課の部屋に入り立田主税課長に同室で課員に演説をさして呉れるよう要求し同課長において執務時間中の故をもつてこれを拒絶するや同室の課員一般に向い、同課長を指しながら「訳の分らぬ鬼のような課長だ、こんな課長の云うことを聞いておらずに自分の云うことを聞け」と云い、続いて「この課長が整理のとき首を切るのだ、上京は一斉ストを決議した。君達はこの課長と一緒に仕事をせずに自分の云うことを聞け」と三、四分間にわたり争議行為をあおりそそのかす趣旨のアジ演説をなしたことを認めることができ、

(ハ) 同原告は同年七月七日午後四時頃原告野田外区職中斗委員等十数名と共に前示中斗指令にいわゆる職場交流、支部交流戦術により左京区役所職員をして一斉賜暇斗争に蹶起せしめる目的をもつて同区役所に至り同区役所職員に対し一斉賜暇斗争に立上るよう鼓舞激励し以て争議行為をあおり、そそのかした。

(証拠関係は前示原告野田の(ロ)項において挙示したものゝ外証人己波田忠の証言の一部(二五〇丁裏)

(3) (原告矢田の行為)

(イ) 前示乙第六号証、第八号証の各記載、乙第一〇号証中証人木村保正の供述記載部分(六一七丁以下)、当裁判所における証人木村保正(二七八丁以下)、同花谷昭治(二七三丁)の各証言並びに原告矢田本人尋問の結果(五〇七丁以下、但し後記措信しない部分を除く)を綜合すると原告矢田は伏見区役所職員をして一斉賜暇斗争に蹶起せしめる目的をもつて昭和二七年七月七日午後三時過頃七、八名の組合員と共に同区役所に赴き、総務、戸籍、経済の三課が同室せる大部屋において総務課長木村保正の制止を無視して五十数名の課員に向い「上京も立つだらう、右京も立つだらう外のところも立つだろうから君達のところもしつかりやれ」と数分間にわたり一斉賜暇斗争に立上る決意を促す趣旨のアジ演説をなし、

(ロ) 同原告は同年七月八日午後三、四時頃区職東山支部組合員数名と共に前示中斗指令にいわゆる職場交流、支部交流戦術により中京区役所職員をして一斉賜暇斗争に蹶起せしめる目的をもつて同区役所に至り相前後して来た他支部青年部員三〇名位と合流し同区役所職員に対し一斉賜暇斗争に立上るよう鼓舞激励し以て争議行為をあおり、そそのかした。(証拠関係は前掲原告山内の行為(ロ)項において挙示せるものゝ外原告矢田本人の供述五〇九丁以下、但し後記措信しない部分を除く)

(二)  (敍上認定に対する反証)

原告野田は本人尋問において「左京区役所へは課長に対する陳情と組合員に対する情勢報告のため赴いたもので、一斉賜暇斗争をやらうとか、職場放棄で斗おうというようなアジ演説をしたことはない、」と供述し

原告山内は本人尋問において「中京区役所へ行つたのは区長に考課表の提出を見合わすような交渉のためであり、当日同区役所に来ていた三、四〇名の区職青年部の人達は別行動で行つた者で自分とは関係なく無論自分が一団の責任者でもない当日自分は主税課及び戸籍課で各五分間位宛職員に対し経過報告的な話をしたがアジ演説をしたことはない、」と供述し

原告矢田は本人尋問において「伏見区役所へは他支部との情報、意見交換のため行つたもので、総務、戸籍、経済三課の入つている大部屋での話は区職中央委員会や東山支部の情勢を報告し東山支部でも全員怒りに燃えている、伏見の皆様とも団結して斗おうとの趣旨のことを述べただけでアジ演説をしたことは絶体にない。

七月八日中京区役所で原告山内と行動を共にしたことは全然なく当日自分は区長の退去命令徹回の件で主税長と交渉した以外何等の話もしていない」と供述し、

証人尾方英一は「原告山内が中京区役所でアジ演説をしたことはない」旨証言し(二四〇丁以下)又証人己波田忠は原告野田が七月七日左京区役所に来た際一斉ストをもつて首切りと斗おうというやうな発言をしたことはない」旨証言(二四九丁以下)するけれどもいずれも前掲証拠に照らし措信し難く他に前示認定を左右するに足る証拠はない。

尚証人仲山米敏、青木浩一、原告野田、山内、矢田各本人は七月五日の区職中央委員会における一斉賜暇斗争の決議は下部組合員の盛上る総意の結集を確認したものに過ぎず組合幹部において一斉賜暇斗争を企て又は共謀したものではない趣旨の供述をするけれども弁論の全趣旨によれば当時区職支部組合員の多数が一斉賜暇斗争を行うべきものとの意見に傾いていたものとは到底認め難く、右証人及び原告等のいわゆる下部からの盛上りなるものは支部幹部その他一部の過激強硬分子の意見に過ぎず結局未だ足並の揃わない組合員を一斉賜暇斗争に動員すべく区職中央委員会において一斉賜暇斗争を行うことを決議し斗争方針を中斗委員に一任したものであることを推認するに難くない。

(三)  (原告等代理人の主張について)

原告等代理人は原告野田、山内において区職中央委員会における一斉賜暇斗争の決議に参加したとしても、元来一斉賜暇斗争は違法の争議行為ではなく仮に争議行為に該るとしても本件の場合は被告市長の団交拒否等組合否認の態度にその原因を発するもので社会的相当行為として違法性を阻却さるべきものである。従つて議決機関である区職中央委員会において一斉賜暇斗争を決議したとしても違法の争議行為を企て又は共謀したということには到底ならない。右の如き議決を以て地公法三七条一項後段に該当するとなすのは組合の団結権を否認せんとする不当の解釈である、尚企て共謀ということは執行機関についてはともかく、議決機関については成立しえないと主張する。

しかしながら一斉賜暇斗争なるものは名を休暇請求権の行使に藉りる違法の争議行為であり又たとえば如何なる事情があるにせよかゝる斗争を行うことが社会的相当行為として是認さるべきいわれもない。又一斉賜暇斗争を以て労働者の意識において正当性に疑がないものであるというのも恣意的独断である、従て一斉賜暇斗争を行うことの決議に参加することはとりも直さず違法の争議行為を共謀することに外ならない。かゝる解釈をもつて労働者の団結権を否認するものであるとか、共謀ということは議決機関については認め得ないかというのもいわれなき独断である。

次に原告等代理人は原告野田が中斗指令第一号を発したのは組合の執行機関としての当然の義務を履行したものであり、これを違法視することは組合組織を否定するもので不当であると主張するけれども組合の執行機関と雖も違法の決議を執行する義務はなく、これを敢えてした場合には自ら法律上の責任をとらなければならないこと勿論で右主張も独断といわざるをえない。

又右指令は下部機関である各支部斗争委員長に発せられたもので一般組合員に対し発せられたものではないから組合員をあおり、そそのかしたことにはならないと主張するけれどもあおり、そそのかす行為は必らずしも組合員一般に対しなさるゝことを要しないのみならず本件指令はその内容より見て各支部斗争委員に対し指令の趣旨に則り、一斉賜暇斗争に突入の態勢を整えるよう戦術を指示するものであること明かであるからかゝる指令の発出は直接には支部斗争委員に対する争議行為のあおり、そそのかしであるといわなければならないけれども間接には右指令の趣旨は一般組合員に伝達せらることを当然予想しているものと認められるから組合員一般に対する争議行為のあおり、そそのかしであるといわなければならない。

又原告等代理人は原告野田、山内、矢田のなした発言は具体的に争議行為を実行させるに足る程度の刺戟あるものではないからあおり、そそのかしたものということはできないと主張するけれども同原告等の弁疏を前提とする主張であり、前認定の事実に則する限り同原告等のなした発言が争議行為をあおり、そそのかしたものに該当すること明らかである。

又職場交流、支部交流のため単に支部廻りをしたことを捉えて争議行為をあをり、そそのかしたものと認定することも不当であると主張するけれども乙第六号証中斗指令第一号によると右は組合員を一斉賜暇斗争に盛上げて行くための戦術であること明かであるから原告等斗争委員会が多数で支部廻りをし、組合員を鼓舞激励することは、弁論の全趣旨により認められる当時の状勢より見てたとえアジ演説はしなくとも争議行為をあおり、そそのかす行為にあたるものと認めざるを得ない。

その他原告等代理人の主張はすべて事実に則せざる独自の意見であつて採用するをえない。

(四)  (被告市長主張の事実にして認め得ないもの)

被告市長は原告野田、山内が十数名と共に昭和二七年七月一一日午前七時前頃下京区役所に赴き職員の入庁を妨げる目的をもつて正前玄関の鍵を当日の宿直員松本からその意に反して受取り同人の返還要求にも直ちに応ぜず正規の時刻に開扉することを不可能ならしめ又一階において下京区役所職員に対し、「上京に同調して直ちにストに立上られたい」旨発言した旨主張するので考えて見るに証人松本茂の証言(二三三丁以下)によると原告野田、山内外数名が原告主張の日時頃下京区役所に赴きドヤドヤと宿直室に入つて原告山内が宿直員松本茂から鍵箱を受取り同人より宿直任務を果たすためその返還を求むるも容易に応ぜずそのため午前八時三〇分に開扉すべき正面玄関の扉の開扉が数分間遅れたことを認めることができ、又原告野田、山内本人尋問の結果によると同朝同原告等が下京区役所の職場委員と会談したことを認めることができるけれども右正面玄関の開扉を遅らせることによつて下京の職員に対し一斉賜暇斗争に立上るようあおり、そそのかしたものと認めることは困難であり又一階において被告市長主張の如き発言をしたと認むべき確たる証拠もないから同原告等が同朝下京区役所において争議行為をあおり、そそのかしたとの事実は結局立証がないことになる。

又被告市長は七月九日午前一一時頃上京区役所経済課で一団の人達が「職場を放棄せよ」とアジつていたがその中に原告矢田もいた旨主張するけれども右事実を認むるに足る証拠は何等存しない。

四、原告中西が上京区役所における一斉賜暇暇争に参加したかどうかについて。

原告中西が区職上京支部青年部副部長であつたこと、前区職中央委員会の一斉賜暇闘争の決議に服していたこと、他の組合員と共に賜暇届を組合幹部に一任したこと、一斉賜暇闘争実施中山出勤しなかつたことは同原告の認めるところであり、右事実に証人西村長治郎(三七二丁)、同谷地孝一(三五六丁)、同鈴木照三(三〇五丁以下)の各証言を綜合すると原告中西は他の組合員と共に七月一一日から同月一四日までの間実施された上京区役所職員の一斉賜暇闘争に参加し、七月一一日午前八時頃から九時頃までの間烏丸今出川少し西入る南側の菓子屋の前で登庁せんとする職員に対し登庁を阻止していた事実があることを認めることができる。

同原告は当時歯痛のため歯科医の治療を受け自宅で安静していた旨主張し、証人富田雄山の証言によつて原本(カルテ)の存在並びに成立を認め得る甲第一号証及び同証人の証言(四〇九丁)によると原告中西は歯痛のため七月九日歯科医師富田雄山の診察を受けたところ、軽い骨膜炎であるとの診断を受け同日、翌一〇日、一二日の三回にわたり治療を受けたこと、一〇日夕刻診察を受けた当時の症状は経過不良で安静を要する状態であつたことが認められるけれどもその際原告中西は右医師に対しストで安静ができないと申していたことが認められ又原告中西本人尋問の結果(六八〇丁裏六八四丁)によると休暇届は七月一〇日夜に組合幹部に一任して一括して提出せられたもので診断書の添付もなかつたことが認められるから同原告が一〇日当時歯痛のため安静を要する状態であつたという一事は未だ以て前認定を覆すに足らず、右原告の主張に副う証人安田実、仲山米敏、原告中西本人の各供述部分はいずれもたやすく措信し難い。

五、一斉賜暇闘争は違法の争議行為でないとの原告等の主張について。

原告等は上京区役所職員によつて実施せられた一斉賜暇闘争は適法に年次有給休暇をとつてなされた権利の行使で争議行為に該当しない旨主張するけれども原告池田等上京区役所職員は被告市長の実施せんとした人員整理等に反対して組合の主張を貫徹せんがため闘争手段として同一日時に一斉に休暇届を提出して地公法の禁止する同盟罷業をなしたものであること弁論の全趣旨によつて明かであるから形式は有給休暇請求権の行使という名の下になされたものであつても到底正当なる権利の行使と認めることはできない。従つて有給休暇請求権が形成権であるかどうか、休暇請求の効力の発生を阻止するために代替休暇の指定を要するかどうか、結果的にどの程度業務の正常の運営が阻止せられたがどうかというようなことをせんさくするまでもなく原告池田等は地公法三七条一項前段の違法の争議行為をなしたものと断じなければならない。原告等の主張は権利の濫用を正当化せんとするもので採用の限りでない。

六、原告等のなした一斉賜暇闘争は社会的相当行為として違法性を欠くとの主張について。

原告等は本件一斉賜暇闘争をなすに至つた原因、動機を縷々叙述し右闘争は社会的相当行為として違法性がない旨主張するけれども人員整理とか豆区役所の廃止統合とかいう問題は市政運営上における施策であつて、被告市長が京都市政担当の責任者として市政の適正な運営を期するため必要と認めて行わんとした事項であること明かであるから市の職員団体においてこれに容啄し得べき限りではない。唯人員整理の施行に当りできるだけ職員団体の意見を参酌せらるべき旨の陳情をなすことは自由であるが右事項をもつて団体交渉の目的となしえないことは地公法五二条一項、五五条の規定によつて明かである。従つて被告市長において右事項につき職員団体と団体交渉をすることを拒否したとしても地公法が職員団体に認める交渉の権利を不当に蹂躙したものということはできないのみならず証人山田三郎の証言によると被告市長は職員団体の代表者のみとの交渉ならこれに応じ、人員整理を円滑に行いたい意向を有したが非組合員を混えての団体交渉の要求であつたので、事態を徒らに粉糾せしめるおそれがあるとして交渉を拒否したに過ぎないものであることが認められるから、被告市長において憲法が勤労者に保障する団結権団体交渉権を否認したものとなすのは当らない。

しかのみならず原告等京都市、区役所職員組合の組合員において如何に被告市長の行わんとする人員整理等の施策に反対であり、被告市長の組合に対する態度に不満を持つたとしても地方公務員において争議行為をなすことは地公法の厳禁するところであるから反対斗争として一斉賜暇による職場放棄をなすことが社会的相当行為として是認さるべきいわれはない。原告等の主張は結局そのなした一斉賜暇斗争を正当化せんとして独自の見解を披歴するものに過ぎず到底左胆し得ない。

七、被告市長のなした本件処分が裁量権の逸脱又は懲戒権の濫用であるとの主張について。

原告等は被告市長の上京関係の原告等に対する本件懲戒処分は不公正極まるもので裁量権の範囲を逸脱したものであると主張するけれども公務員に対する懲戒処分はその処分が全く事実上の根拠に基かないものと認められる場合であるか、若しくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き懲戒権者の裁量に任されているものと解するのを相当とするところ(最高裁昭和三二・五・一〇日第二小法廷判決参照)本件上京関係の原告等に地公法三七条一項前段該当の行為があつたことは既に認定したところであり、又右の行為があつた以上懲戒免職処分にせられても已むを得ないことは地公法三七条二項の規定によつて明かであるから苟しくも右行為があつたことを理由として懲戒免職処分がなされた以上裁量権の逸脱を云々する余地はない。従つて同じく争議行為に参加しながら原告等よりも高い役職にあり、より積極的に活動した者が懲戒免職を免れているとか或は原告等の中の或る者は何等の役職を有せず又何等積極的活動をしていないとかというが如き原告等主張の不公平事由は被告市長に与えられた裁量権の当、不当を問題とするものでかゝる事由は本件懲戒処分の違法原因たりえない。原告等代理人は懲戒処分の対象となつた行為が極めて軽微な場合に著しく苛酷な重い処分をすることは当、不当の問題を超えて適法違法の問題に移行するとして右の法理を本件の場合にあてはめんとするけれども本件懲戒処分の対象となつた行為は地公法によつて禁止せられている争議行為であり、違反者は任命上の権利をもつて任命権者に対抗しえないとされている公務員としての重大な義務懈怠行為であるから右の法理は本件の場合に妥当しない。

しかしながら若し本件懲戒免職処分にして原告等主張の如く本件一斉賜暇斗争を機会に、これに便乗して、共産党員若しくはその同調者と目せられる者を解雇し若しくは組合の弾圧の目的を以て正当なる組合活動をなす者を解雇せんとの意図に出でたものであり、懲戒に名を藉り右不当の目的をもつて原告等を免職したものであるとするならばそれは正しく懲戒権の濫用で無効であるといわなければならないけれども原告等の全立証によるも本件懲戒処分が右原告等主張の如き意図をもつてなされたものであると認むるに足らず却つて証人山田三郎、同並川健一郎、同城戸貞一郎の各証言を綜合すると被告市長は原告等に地公法三七条一項該当の行為があつたものと認め、当時諸種の情報によつて蒐集した本件争議行為における原告等の活動情況を参酌して原告等を情状最も重きものと認めて懲戒免職処分に付したものであることを認めることができる。そうすると仮に被告市長の右情状の認定に誤認があり、原告等よりも情状の重いものが懲戒免職処分を免れる結果となつたとしても唯裁量権の行使が適正でなかつたといえるだけで権利濫用の問題は起り得ない。(尚一斉賜暇斗争は既に認定した如く違法の争議行為であつて、正当な組合活動ではないから右斗争に関与した者を懲戒免職処分にしても地公法五六条違反の問題を生じえないことは勿論である)。

よつて右原告の主張は採用しえない。

八、しからば被告市長のなした本件懲戒処分には原告等主張の如き違法は一も存しないから被告市長に対し本件懲戒免職処分の取消を求める原告山田、小畠を除くその余の原告等の請求は理由がなく又、被告人事委員会の判定も原告等に地公法三七条一項違反の事実があつたことを認め同条二項の規定によつて原告等の審査請求を棄却したものであるところ、原告等に右違反の事実があつたことは既に認定の事実のとおりでありしかして右事実がある以上原告等は地公法三七条二項の規定によつて分限上及び懲戒上の保障を主張しえないものと解すべきであるから審査請求を棄却されても己むを得ない。従つて右判定にも違法はなく被告人事委員会に対する原告山田、小畠を除くその余の原告等の請求も理由がない。

よつて原告山田、同小畠の被告等に対する本件訴は不適法として却下すべく、その余の原告等の被告等に対する本訴請求はいずれも棄却すべきものとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣久晃 平田孝 大西リヨ子)

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